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1月14日(火)
まず最初に、お誕生日おめでとうマイディアフレンド。いくつになっても魅力的な女性であり続けてちょうだいね。今年は(どうか早めに)素敵なボーイフレンドを紹介して下さい。ホント頼んだよアンタ!
さて、成人の日記念世田谷練り歩きから戻ると、お気の毒に義妹が風邪っ引きで大発熱。今も39度前後の熱にうんうんうなされている。これはどうやらインフルエンザのようだ。頑張って汗をかいて熱を下げようと努力するがままならず、しばらく闘うしかないのね…うーん頑張れ二十歳過ぎ。とりあえずSカップC1000やリンゴジュースやイチゴなどのビタミンC採りなさいものや、本人のリクエストに応えてプリンを買って来たり、妻が消化に良さそうな野菜スープなんかを作ったりした。とにかくこういう時は寝てるのが一番だからゆっくお休み。
そしてもう1つ、練り歩きから戻ると、お気の毒にティッシュが被害にあっていた。それは最近のコイの小さなブームらしい「1日1枚カミカミ(紙噛み)」。現在我が家には少なくとも3箇所にティッシュが設置してあるのだが、コイは御丁寧に1枚1枚各所から引っぱりだしてはギュッギュッとお噛みになられるのだった。面白いのは1枚で満足するところだが、これを毎日されると、最初の1枚が決まってよだれでカピカピ、時には茶色く変色している結果となる。だってティッシュって「あっ」と思って咄嗟にシュッと抜いて使用する応急措置ものであるから、鼻かんだりする前にいちいち細かいことなんて気にしてられないもの…だから後になって「あ…このニオイは」なんて気付かされる羽目になる。コイよ…いい加減にしとけよ!
やってる姿は可愛いんだけどさ。
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1月13日(月)
成人の日、起きると昨日の馬鹿歩きのせいで太ももがパンパンに張っていた…ちょっと成人し過ぎでやれやれだ。しかし今日も天気がいいので即効でおでかけ体勢に。ちょっとした用事もあったので、高校卒業後にしばらく一人暮らしをしていた自由が丘近辺へ久し振りに出向いた。世田谷もそうだけど、他所の土地に暮らしてしまうと自由が丘なんてアーバンな街にはよほど特別な用事でもなけりゃ行かないものだ。
人間というもの、過去を辿りそして懐かしむ習性がある生きものにつき、昔(19年前に)住んでいたアパートあたりを自然と探索。1984年の時点で既にどうしようもないくらいボロだったので絶対ないだろうと思ったら、わお!取り壊し寸前状態でまだ保存されていたのでビックリ。台風でも来たら飛ばされそうな体裁でかろうじで建っている6畳一間に台所4.5畳、風呂無しボロアパート家賃2万円を見た瞬間、忘れかけていた数々の青臭い記憶が蘇る。キッチンに出たネズミのこと、友だちが寝ゲロを吐いたこと、鳩の餌の麻の実を窓辺から蒔いたら芽が出てきてビックリしたこと(マリファナ?)、暗室にしてよく写真を焼いていたこと、等々。それにしても自由が丘はこの20年でまったく別の街かと思うほど変わってしまった。昔の「知る人ぞ知る」みたいな特別な雰囲気はすっかり影を潜め、街全体がかなり高いレベルでコマーシャライズされてしまったように感じる。アーバンはアーバンだけど、何もかも高いし、ごちゃごちゃし過ぎ…。裏のマリクレール通りなんかも健在で、品の良さそうな奥さまたちがうじゃうじゃいたが、覚えている店ってラーメン屋だったり、蕎麦屋だったりで自分の卑しさを再認識する。
その後、テクテク歩いて住宅街を抜け、途中妙に人懐っこい猫に遭遇しちょっかいを出したりしながら田園調布へ。この街にも3年ほど住んでいた。流石にアパートへは行かなかったが、西口に広がる高級住宅街を勝手にお屋敷拝見ツアーしてとってもエンジョイ。帰りは世田谷の等々力から東急大井町線で戻る。大塚に到着してふと周りを見渡せば、ああ何と野暮な街なこと…ま、でも居心地いいけどね。
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1月12日(日)
とってもポカポカ陽気だったので、朝から出歩いた日曜日(以下、行動記録=今日はもう疲れたので文章構成能力なし)。
起床後、だらだら支度して都営荒川線に乗っかって終点早稲田で下車。歩き始める前にコンビニに寄り、ファットバーナーに気を使ってヴァーム(ゼリー)をチュルチュル。初めての早稲田大学敷地内をショートカットし、外苑東通を東進。そのまま牛込とか柳町とかごちゃごちゃ新宿(&文京)エリアを歩き、神楽坂へ。ジューシー豚饅頭で有名な中華料理店「神楽坂五十番」に運良く行き当たり、絶妙な肉まん(300円)を頂く。これ、もしかするとどこのより美味いかもしれない。ああ幸せ。
その後、坂を下って飯田橋駅前を左折、外堀通りを水道橋方面へ歩き、東京ドーム脇をスリ抜け、車で通る度に気になっていた謎の建造物を至近距離で観察。いやぁ日本人の考える事って凄い。たぶん思いきり無駄なんだけど、無意味に凄い。この不景気にそんなもの作ってどうするんだろう…。とにかく5月にオープンするアミューズメントパーク「La
QUA」の巨大観覧車には真中がなかったりする。ホイール(車輪)式ではないのだ。その代わり、その穴をジェットコースターが通り抜けて行く。コースターはそのまま東京ドームよりも高い中空まで登って一気に落下し、今度はビルの上へかけ登って、壁面に空いた小さな穴を抜け、そのまま交通量の多い通り白山通りギリギリを落下。うーんなんだかね…。
その後春日通りに出て上野アメ横へ。どうしてもスタンドカレーが食べたくなって、中学生の頃からのお気に入り「エース」でカツカレーなど食す。お腹が一杯になったら、アメ横センターの地下にある超エスニックな食品街でお酢やら、表の魚屋で特上8500円の大トロを1000円に値切って購入。帰りは春日通りから不忍通り、白山通りへ。気がつけば、右手には東大赤門、左手には妻の母校である文京女子、あとは全部神社仏閣寺寺寺みたいな物凄い通りで笑えた。駒込手前で左に折れ、巣鴨を抜けてついに大塚。ああ今日も歩き過ぎ…だけど、かなり充実した一日となった。戻って食したマグロもかなりのもの。これ1000円じゃ安いよ絶対。
明日も天気が良さそうなので歩きます。
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1月11日(土)
111と並んだ今日はたぶん何かの日だ。ちょっと調べてみよう…ん、そんなに変な記念日ではなさそうでだ。真面目に鏡開きとか蔵開きとか、あ、塩の日でもある。それは何かと言えば、1569(永禄11)年のこの日、上杉謙信が塩不足に悩む宿敵・武田信玄に塩を贈った。それを誰かがこじつけて塩の日にしたらしい。ちなみに「敵に塩を送る」という言葉もこの話が語源。うーん、ちょっと面白い。
今日生まれた有名・著名人はと言うと、伊能忠敬(地理学者1745)、鈴木善幸(元首相1911)、古今亭志ん馬(落語家1935)、江利チエミ(歌手1937)、ちばてつや(漫画家1939)、松岡昌宏[TOKIO](歌手1977)、深津絵里(女優1973)、持田真樹(女優1975)あたり。歴史上ではどうなのかと言うと、カエサルがルビコン川を渡りローマに入った日(BC49)で、イスラム教の祖マホメットがメッカに入城した日(630)で、幕府、鉄砲づくりを開始した日(1615)で、徳川一行、パリ万国博へ出発した日(1867)で、伊豆七島が静岡県から東京府に移管した日(1878)で、厚生省発足した日(1938)で、それで東京でスモッグ警報が、初めて発令された(1965)日なんだそうだ。
ふーむ、調べてみると、いろいろあるものだ。画像はそんな日とは全然関係ない(先日書いた)たいめいけんの「たんぽぽオムライス」。これにお好みでお手製ケチャップをかけて食べる。隣に小さく写っているのが50円のコールスローで、おそらくリンゴ酢か何かを使っているのか風味が良くて、口に入れた瞬間のテクスチャーが抜群の逸品。薦めるまでもない超有名店だが、灯台下暗しでまだ食べていない東京地方の方、是非食うべし(それが言いたかった)。何だかまとまりがなくなってしまったが、土曜日だしまぁいいかな。
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1月10日(金)
ファッちん変貌…と言っても、今回は容姿のことではない、行動についてだ。両前足を持ち上げられ、何だか反復横飛びでラインをちょいと跨ぐ時のような微妙なポーズをおとりになられているが、ここのところ毎晩のように布団の上にのそのそ上がって来ては朝まで一緒に眠るようになった。足下からブヒィ〜スピーグフグフブビッとファッちん特有のいびき(ファッちん節と言う)が響き渡る暗闇は、知らない人には無気味なだけだが、過去を知る者にとっては実に微笑ましく、それだけで空間が温かくなったように感じる。
朝まで布団の上にいることだけでも十分珍しいのだが、毛を刈ってからのファファは、まるで別人(猫)のように躍動感に溢れ、家中を走り回る(正しくはピョンピョンと飛び跳ねるように走る)ようになり、我々やコイにおもむろに戯れついてみたり、机の上に自らピョンと飛び乗ってみたり、おおよそ「らしくない」行動を取り続けている。が、よく考えればそれは猫として至極あたりまえのことなのだが、ここまでのファッちんの猫生を考えるとホントに見事なまでの変貌ぶり。こりゃ見事に「2003年新学期デビュー」を決めたもんだね。
そうなるとコイとの間の力関係にも変化が認められ、昔は3:7で何をするにも圧倒的に不利な立場にあったのが、今は下手すると6:4くらいの割合まで大逆転していると推測する。餌もお気に入りの場所も飼い主の愛情もちゃんと正当にシェアされているように見える。たまに闘い(あまり意味のない小競り合い)のようなものも見られるのだが、一方的に追い詰められることの多かったファッちんが、今ではコイを追い掛けたりしている。うーん、気弱で優しい猫だってその気になれば変われるのだね。おそらく毛が伸び始めると元に戻ってしまうのかもしれないが、うふふ、ファファよキミってやっぱり
so sweet!!!
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1月9日(木)
10年ぶりに日本でちゃんと暮らしてみると、やけにアメリカ嫌いぶる人が多いのに驚かされる。やれブッシュは悪魔だとか基地周辺不良米兵問題とかイラク攻撃反対だとか、あちこちで声だかに「ヤンキーゴーホーム」が叫ばれている。でも、もし彼等が今日ゴーホームしちゃったら明日から世界は大変なことになる。つまり(命中するかどうかは別として)すぐにテポドンが飛んで来るし、街ではもっともっと中国語が飛び交うことになるだろう。
で、声だかに言いたいのは、日本人という民族はアジアの小さな島国に暮らしている割に、いつでも自分達の国土を世界の中心に据えてモノゴトを考える傾向が強くていけないってこと。たぶんアジアにある他の小さな国々の人々にそういう発想はない。今どき誰が考えたって、政治的にも経済的にも文化的にも、世界の中心はアメリカである。日本に限らずアメリカが全世界にまき散らしている影響は計り知れない。毎日、気付かずに口に入れている日本的な物だって今やアメリカ産の某だったりするのが現実だ。
ところが日本のテレビや雑誌などでは、そのあたりの現実を踏まえない学者肌の文化人やら芸能人やらがラルフローレンを着てNYキャップを被り「アメリカけしからん」と文句をつけていたり、そもそも出演している番組がアメリカにオリジナルのあるものだったり、家に帰ってレンタルビデオでハリウッド製映画を楽しんだり、エミネムかっこいいなんて言いながら280円払ってマルボロライトを吸ったり、お正月はハワイでバカンスしたりする。海外ではよく言われることだが、日本国民の国際情勢音痴を助長しているのは低俗で幼稚なジャーナリズムであって、プロデューサーであって、ディレクターであって、編集者であって、ライターである。みんな頼むから、そういうものに騙されて踊らされて麻痺しないで、ニュートラルな姿に戻ってほしい。だって最近の日本人ってあまりにも不自然でしょ?
Discerning is Fundamental.
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1月8日(水)
正月三箇日の最終日と言えば、我が家では母の誕生日だ。前の日訪れた群馬の叔父&叔母さまたちの中にも、12/26、元日、2日生まれなんて方がいて、ケーキなんてどこにも売ってないし、単体で祝ってもらう事なんてまずないからなんだかねなんて話をしたばかり。3日生まれの母の場合もたぶん毎年そうなのだろうが、今年はちょっと違ったはず。ちょうど息子夫婦+猫兄弟が大塚に帰る予定だったので、せっかくだからお祝いに都内で美味しいものでもという話しになり、オムライスを食べたいと言う父の希望も取り入れて、日本橋の老舗洋食レストラン「たいめいけん」に行くことになった。
猫兄弟は移動中の父のTOYOTAで、誕生日を祝うかのように後部座席の母の膝に居座り、車窓を流れる景色に興味津々。正しくはファファだけ楽しみ、コイはパニクっていた。この日、たいめいけんの営業はランチに限られ3時まで。大塚に戻って猫兄弟をリリースし、急ぎ春日通りで日本橋方面へ向かう。時刻は2時前。途中車内のラジオが「現在、山梨学院大学をかわした先頭の駒澤大学が中央通りにさしかかりました」なんて言っているのが聞こえ、「ん?待てよ…この先中央通りじゃん…」。ラジオはさらに「今、駒澤大学が日本橋を通過しております」なんてがなり立てる。まさにその時、日本橋2丁目にさしかかっていた我々の目に入ったのは…おまわりさんと交通規制…やれやれ。結局箱根駅伝に邪魔されずいぶん遠くに車を止めて雪の中歩く羽目に。でもギリギリラストオーダーには間に合い、半熟ふわふわオムレツを開いて頂く伊丹十三風たんぽぽオムライス(1850円)やボルシチ(50円)コールスロー(50円)に舌鼓を打って、SOハッピーの大満足。帰りに母の希望で東京駅の新丸ビルにも寄ったが、コチラは三箇日だからか物凄い人出で身動き取れずぐるっと見学して、早々に引き上げた。とにかくお誕生日おめでとうございました。
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1月7日(火)
(…話しのつづき)目覚めると雪が積もっていて、おばあちゃん家の御自慢の庭も雪化粧を施され乙なものだった…が、その日中に埼玉に帰らなければならないので、雪に埋もれた父のTOYOTAを見てちょっと不安になる。まぁ太陽がのぞいているから夕方までには溶けることだろう、たぶんね…。その日は早めに支度をして、お昼から妻の母方の親類一同が介するという集まりに初参加。ちょいと緊張したが、酒が入ればなんてことはない。美味しいお節に舌鼓を打ちながら、がんがん飲まされほろ酔い気分でほとんどハッピー。で、隣のおじさんと話していて初めて知ったのだが、昨年道路交通法が改正されて、飲酒運転免許一発取り消しの30万円罰金?
同乗者も勧めた人も罰せられるようになった…Oh!
警察国家ニッポンの激しい迷走ぶりが伺えるじゃないか。だって、優先順位からして他にもっと取り締まるべき物あるでしょたくさん…うーん。仕方なくお酒はほどほどにして、ひたすら食いに走る。宴は4時間半ほど続き、その間、自分でも呆れるくらい沢山食べた。中でも新鮮だったのが、普段なかなか口にすることのない群馬的煮物、豆、ハム、きんぴらなどの(つなぎで置いてるような)ちょっとしたものの数々。野暮ったくてとっても懐かしい味がした。締めに頂いたわんこ風蕎麦もかなりイケた。
日が暮れて、酔いも覚め(本当はアルコールの血中濃度が許容値内に収まるには8時間必要だと言う=そんなに待てるか!)、雪も溶けたので、超満腹状態ではあったがお世話になったみなさまにお礼をいい眠気と闘いながら関越に飛び乗ると、アレ…もう帰省ラッシュ?
と思えるほど要所要所で渋滞していた。それでも約2時間半で埼玉に辿り着き、大人しくお留守番していた猫兄弟と再会。母が「あっさりしたものにしましょう」と作ってくれた「うどんすき」があまりに美味くて再び食い過ぎバタンキュー。
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1月6日(月)
今日から仕事始めの方も多いであろう"うんざり"月曜日。妻も例に漏れずいやいや起きて支度して、とっても足取り重そうにオフィスへ向かった。コイは昨夜から軽い下痢(ミルクが原因)らしく1人(猫)おとなしくしている。ファファは毛を刈ってからというもの人懐っこく誰彼構わず愛想を振りまいている(含む柱)。年が明けても在宅勤務の自分の場合、リサーチしたり、お弁当を詰めたり、洗いものしたり、はたまた洗濯したりと、相変わらずである(悪くない)。
では年末年始話しの続きを…。元旦に目覚めると、既にお節の準備が整い、軽く新年の挨拶を済ませお屠蘇(おとそ:徳井家の場合、熊本式なのでお酒とみりんを半々で割ったもの)を頂きすっかり正月気分。梅干し入りお茶、干し柿、数の子、晦日に母と妻で詰々されたお節の数々を片っ端からむしゃむしゃ。海老やホタテのフライ、ぎんなん、いたわさ、牛蒡のタタキ、ブリテリなんて涙もの。伊達巻きとかもよく考えたら久し振り食べた。煮豆類もくりきんとんも…うふふ、もう言う事なし。なんて思っていたら、鰹節、炒子、昆布、椎茸に加えて鯣で出汁をとったらしい、メインのお雑煮が登場。具は小松菜、もやし、里芋、焼き餅、人参、大根などで、ああ絶品幸福!
午後になって、どうにかお腹も落ち着き前橋のおばあちゃん家に向け出発。外環から練馬を経て関越に乗っかり1時間半。さすが元旦だけあってスムースドライブ。まずはお墓参りをして、それから到着したおばあちゃん家には親戚一同(総勢18名)が介し実に賑やか。で、気がつけばまた食いっぱなしの飲みっぱなし。お節もさることながら、鶏&ゲソ唐揚げ、太巻き、なぜか明太子、キムチ、ああもうダメ…本当にこれ以上はヤバいってほど食べた。ふと外を見れば雪がちらほら降り始め、なんだか風情のある雪見酒状態でご満悦(つづく)。
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1月5日(日)
冷え込み厳しかった金曜とは打って変わってポカポカ陽気の土曜日、原宿駅で下車してかなり久し振りに明治神宮まで初詣に行った。大して混んでないだろうと思ったけれど、不景気な世相を反映してか老弱(若)男女でウジャウジャ。やはり誰でも困った時は神頼みなのだろうか。その割に、お賽銭箱(正しくはお賽銭受けビニールシート)には10円玉や100円玉が目立った…思えば13年くらい前(つまりバブル前)に行った時には1万円札がけっこう目についたのが嘘のよう…。いつものように、家族が健康で幸せで(中略)儲かってウハウハ、あ、今年は車も買いたいのでひとつよろしくとお願いした(ちなみにお賽銭は消費税分を足して105円投げた)。
そのまま代々木公園沿いを歩き、NHK裏を抜け、公園通りを下ってハンズ坂から東急本店脇をスリ抜け、道玄坂まで行って「喜楽」でラーメン(中華そば600円)を食す。我々夫婦はココんちの鶏ガラ醤油コク系+太縮れ麺が好きだ。と言っても頻繁に渋谷に行く訳ではないからたまにしか食べられない。このたまにが良いのだ。いつでも行けたらこんな脂っこいラーメンすぐに飽きてしまう。その後、ドン・キホーテを冷やかして、東急文化村でおしっこして、ブックファーストで著書のチェック、そのまま明治通りを歩いて原宿へ。通りは地方からお年玉を手に上京したと思われる裏原宿信仰者やビームスとかNIGO教の信者と思しき若者でごった返していて真直ぐ進むのも大変なほど…これにはちょっと驚く。そのまま代々木を抜け新宿までテクテク。東口から歌舞伎町をエクスプロアしながら気がつけば新大久保。韓国人街の発展ぶりに感心しながら気がつけば高田馬場。妙に音楽系の専門学校が多いのだなと思っていたら、いつの間にか目白。と言う事でこうなったら歩いて帰ってしまえと、池袋を抜け大塚に到着したのはたぶん渋谷から3時間半後くらいだったように思う。原宿〜渋谷〜大塚…我ながら感心するが、絶対歩き過ぎ、足痛い。
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1月4日(土)
どうもみなさま新年明けましておめでとうございます。今年もcatcatをよろしくお願いします。
まいにち書くことは、ある意味大変かもしれないけれど、慣れと言うのは便利なもので、今では朝一杯のコーヒーと同じように「なくてはならない」ルーティーンとして日々に生活に根付いている。2003年も(余程の事がない限り)引き続き勝手なことを書き綴って行く予定なのでひとつよろしくbe
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repeater。このページで日常のなにげない事柄にフォーカスしみなさまとシェアすることで、ものの見方を広げて元気の糧をゲットしたり、あるいはギブしたり、はたまた交友の場を広げられればいいなと願って止まない私です。たぶん、いろいろとヘンテコな変化がありそうな羊年、どこかの宗教じゃないけれど世界人類が平和でありますように…とまずは心から祈りたい。
さて、年が明けても引き続き「あまりに派手に動かず我慢して頑張る」という指針に沿って行動する我々大塚チームは、北関東食い倒れツアー(ただ単に埼玉&群馬に帰った)に参加し、目に剰るほど我慢せず派手に食いまくり、ゴム風船に入った昔懐かしいアイスのようになって帰ってきてしまった。誰かに針でつつかれたらモノの見事に破裂するほどパンパンだ。だって年越し蕎麦にお節にお雑煮…今食わないで一体いつ食えばいいわけ?(だから痩せない、やれやれ)。猫兄弟は埼玉の実家で初の年越し。移動中の父のTOYOTAでファファはずっと嬉しそうに車窓を眺めていたが、コイは相変わらずのパニック状態でお気の毒。でも到着後3時間もすれば偉そうに寛いでいらっしゃった(ファファはゴミ箱の上に誇らし気に乗っかっていた…)。家族みんなで買い出しに行ったり、出来上がったお節を重箱につめつめしたり、年越し蕎麦食いながら紅白観たり、年が明ける頃には近所の弁財天に初詣に行き、ふるまわれたお神酒を一気のみし手には凍り付いたみかんを持って戻ったり、なかなか「らしい」晦日を過ごせてああ幸せ。(つづく)。
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