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8月14日(水)

毎日早起きである。理由は、もちろん帰国後4週間経過しているから時差ではない。単純に暑くて寝てられないと言うのと、ゴミ回収プレッシャーによるものである。妻は早起き向きでは決してない。どうしてもという理由がなければいつまでも寝ていられるタイプだ。同居中の二十歳の義妹は最初から起きる気がない…つまり、いったい誰が8時半までにゴミを出すのだ?という話になると自分しかいなくなるのであった。普通に8時頃起きて出せばいいのだが、心配性故にこれが5時とか6時とかに目が覚めてしまうものだからたまらない。結局寝ぼけ眼で一度ゴミ出しをしてから二度寝する日々が続いている。
さて、巣鴨と言えばみなさま御存じの通り「おばあちゃんたちの原宿」である。そこまでウチから15分程歩けば到着することを知り、元来「おばあちゃき好き」で有名な自分は喜び勇んで行って来た。初めて訪れたとげぬき地蔵で有名な地蔵通り商店街は、なるほど老人向けの品揃えでいろいろ笑える。杖やら買い物カートを軒先きに並べる店が目につき、やたらとある薬屋もいかにもといった感じ。毎月4のつく日には、冥土の土産を買い漁ろうと日本全国からご老人たち(特におばあちゃん)が集まってきて大混雑なのだそうだ。昔ながらの定食屋やら甘味処、渋めの喫茶店も魅力的で、あるお店のショウケースに飾られたかき氷イミテーションの綿は特に笑えた。うーんカワイイ。昼間から営業している「懐メロカラオケスナック」もナイス。巣鴨って独特ね。

8月13日(火)

日本に帰って最初の頃に目にした光景で違和感を覚えたのが、女性の日傘と男性の扇子。かなり多くの人が使用している。面倒くさがりの若い女の子たちは、綿製のそれではなくただの折り畳み傘を日傘として流用している場合もある。また、扇子を持つのは一種のブームらしく、駅前などの露天に真夏なのにネズミ色のスーツを着込んで酸っぱくなったサラリーマンたちが群がっている光景を何度も目にした。。思えば、ニューヨークで日傘をさしている人は、かなりのお年寄りかヨーロッパ映画などに感化されたいかれた者という印象が強かった。扇子をパタパタやるのはカール・ラガーフェルドの熱烈支持者?かライス好きなゲイくらいで、どちらも滅多に見かけない光景。
でも、それは過去の話。何故なら帰国後数日経過した時点で「ああなるほどこりゃ必要だ」と納得するほどの異常な暑さだった。そもそも街路樹や公園などが少ないため木陰というものが存在せず、尺熱地獄からの逃げ場がなかなかないので、日陰は自分で作るしかないのが現状。ただし頑張って作ったプチオアシスも焼け石に水で、ヒートアイランド現象の進む都会生活は益々タフな様相を呈している。おそらく10年前は逆だった思うが、アメリカ人などと比べても、たぶん今は日本人の方がエアコンへの依存度は高い。
昨夜はジュゼッペ・トルナトーレ監督の「マレーナ」をレンタルして観たのだが、イタリアはシシリー島の友人宅に1ヵ月程滞在した時に毎日吹かれたアフリカっぽい特有のヒートウェーヴを思い出す。あの島もホントに暑かった。日中は余裕で40度以上になる彼の地だが、友人宅にエアコンなるものは存在しなかった。なぜやっていけるのかと言えば、それは単純に昼間は「寝てる」から。だって暑くて何もできないもん。日本もこの点見習って8月はシエスタ制導入を!

8月12日(月)

土曜日にはようやく片付きつつある我が家に初ゲストがやってきて、大塚の街をブーラブラし、有名おにぎり屋「ぼんご」で舌鼓を打ち、同じブロックにあるこじんまりと可愛い千鳥饅頭チロリアンでお菓子を買ったり、ついでに近くの角海老ボクシングジムの練習風景を見学したり、そのまた近所の啓発セミナー的「サイエントロジー」本部を遠巻きに見たりして楽しんだ。夜はそのまま別の友人がエキシビション中だという六本木はセリナ近くのクラブ(と言うより80'sデスコと呼ぶに相応しい)に出向き、ついつい遅くまで語らい、結局池袋止まりの終電車で歩いて戻った。それにしても夜の六本木の変貌振りには驚かされた。いったいいつからこんなにお下品なカス外人たちの街になってしまったのだ???よく遊んでいた10年くらい前、六本木はしっとりとした(ある一定レベル以上品の良い)大人の飲み屋街だったのが嘘のよう。用事がなければ行こうとは思わないほどの下世話さにちょっとカルチャーショック。
日曜日はお盆イベントに参加するため田舎(と言ってもウチの場合ご近所さいたま草加なのだが)に帰った。じいさんばあさんにお線香をあげて、お昼に親戚共々田んぼの中に忽然と存在する激美味鰻屋で鰻重を御馳走になり、その後お団子やらも頂き超満腹満足。本当は1泊してくる予定だったのだが、猛暑にエアコンなしの猫兄弟が不便に思え、夕食を済ませてからから急遽戻ることに。幸い夏休み中で多忙な妹が夕刻(奇跡的s)に戻った時にエアコンをつけておいてくれたので、ヤツらは何くわぬ顔でおかえりと出迎えてくれたのだった。それにしても毎日異常な暑さだ東京よ。

8月11日(日)

どこでもドアー? ウチの寝室には1畳ほどの天袋付きの板の間(現在片付かない荷物に占領されてデッドスペース)があって、壁にはアクセントに障子があったりしてなかなか素敵なのだが、先日イタズラ中のコイを追い掛けるついでに障子(の反対側)をスーと開けてみたら、そこに幅40センチたかさ60センチほどの小さな鉄製の出入り口を発見…???? 思ったのは(1)これは隠し金庫で中には前住人が忘れていった金塊とか証券のようなものが保管されている。(2)昔ながらのウォークインクローゼット(昔の人は小さかったから間口は狭いが中は広い作りで間に合ったという解釈)。(3)隠し部屋。で、恐る恐るドアノブを回すと、そこにはあたりまえのように隣んちのベランダが…あった。
猫兄弟もすっかり新居に慣れ、涼を求めて暗い場所から暗い場所へと移動を繰り返していらっしゃるが、困っているのは水回り専門猫であるところのファファが、いつものようにバスルームのタイルの上(つまり洗い場で)でベチャッと寝そべっているため、シャワーを浴びる時にいちいちどけなければならないこと。日本の風呂はニューヨークと違って水浸しになるんだよファファ…やれやれ。コイもすっかり和室に馴染んできた日曜日の大塚。

8月10日(土)

出合いは大塚駅前のショボイ園芸ショップでだった。そいつは容赦ない8月の陽射しにもめげずに颯爽と立っていた。聞けば普通の竹ではなく、幹が黒紫っぽい色をした中国原産の黒竹(クロチク)という種で、昔から日高地方が有名な産地らしい。築30年の和洋折衷型マンションに引っ越した我々夫婦はこれに一目で惚れた…いろいろ調べたらこの竹、ハチクの変種だそうで、ならばこれにあやかり「破竹の勢い」で新生活を盛り上げたいと言う願いを込め思いきって購入。人の背丈はあろうかという黒竹はエッチラオッチラと銀の鈴商店街を運ばれ、まだまだ片付かない我が家のリビングルームに到着し、見事なまでにフィットし、現在日光浴中である。で、猫兄弟は久しぶりの青葉にどういう反応をしめすのだろうかと観察していたら、ファファは9秒、コイは7秒ほどクンクンとニオイを嗅いでお終い。どうやらそれで満足したらしく、それ以降特に関心は示していない…なんだかね。
竹と言うのは川っぺりに自生する種だけに、水が大好きと園芸ショップの若者は言っていたので、朝夕ジャバジャバ水をあげている。どうにか枯らさないように頑張って、来年の七夕には短冊でもぶら下げたいものだ。

8月9日(金)

少しだけ涼しくなった気のする金曜日、ちょっと普通じゃないニッポンの夏をみなさまいかがお過ごしですか? 9年振りに汗だくになりながら感じているのは、「これじゃ毎日しっかり食べなきゃバテちゃうよ」。ちゃんと settle down した今回は、健康生活の基本であるところの自炊にまじめに取り組むことが可能になり、毎日スーパーなどに買い物に行っているわけだが、海外から戻って感じるのは日本の食品レベルはおしなべて高いということ。一般のスーパーで売られている食品にしても、やれ表示が当てにならないとかいろいろ問題はあるのかもしれないが、アメリカなどに比べると飛び抜けて質はいい。量に関してはたまに冗談みたいに小分け過ぎて笑ってしまうことも多いが、それでも味は良い。ずっと日本にいる人たちは、この点「麻痺」していると感じるので、自分たちは恵まれているとちゃんと認識して欲しい。
で、その後の猫兄弟。2日目になってもウンチをしないので、これは猫砂に問題アリと見て、トイレに流せる・生ゴミとして捨てられるをキャッチフレーズにした1袋880円の「おから」タイプをやめ、今まで慣れ親しんできた固まるタイプ、使用後は地中に1メートルの穴を掘って埋めて下さい(そんなことやってられないって)=1袋400円を使用することにした。砂を取り替えて1晩たったら翌朝リッターボックスに見事な黒い固まりが…うふふやった、やったよー!
これに関連して、帰国後根底からのアジャストメントを余儀なくされているのが、東京都豊島区のゴミコードである。ニューヨークでは笑うなかれ単に燃えるか燃えないかだった。しかしここは違う…生ゴミは火・金、燃えないゴミは水、資源ゴミは偶数週が段ボールなどで、奇数週が缶瓶類、しかも東京都指定のゴミ袋に入れて朝8時半までに出せなんて、おまえら態度でかいよ! と思ったが、島国ニッポンだけに仕方ないのか…それにしても、牛乳パックを開いて乾燥させて折り畳めと言われても、どうしてそこまでやらなければならないのか疑問。どうせなら初めからそういう形態で牛乳を売ればいいと、窓から見える夜の大塚銀の鈴通りにひとり思うわたしだった。

8月8日(木)

さて、これまでの続き…成田の係留施設に行った翌日からは、具体的にコイとファファの暮らし振りをイメージすることが可能になったので、余計かわいそうに思えて仕方なかったが、世話係の人たちの冷静な対応ぶりはかえって飼い主を安心させるものであり、残りの10日はなんとかやっていけるだろうと思えた。よって面会はその1回きりにして、毎日電話で健康状態を確認するにとどめ、かわりにペット可物件に引っ越しを済ませ、和的なトイレ&餌事情に対処するなど(魚系の餌が妙に多いだとか、猫砂が東京のゴミ事情を反映して見なれぬ素材→おからだとかでできているなど)、彼等が戻った時によりよい環境を提供すべく奔走した。そしていよいよ隔離16日目の7/31になり、実家から車を借りて到着した成田空港第一ビル検疫受付に猫兄弟はいらっしゃった。さっさと輸入手続きを済ませ、「兄弟割り引き」を主張し、見積もりより1万円値引いてもらった金額を支払い成田を後にした。
よく見るとコイはどこかに唇をぶつけたのか、いつもの5倍程に腫れ上がっていてすっかりイカリヤ顔になっていたが、それ以外はまぁ元気そうで良かった。折りからの猛暑で都内に向かう車内は大して冷房が効かずムンムンだったので、ファファが般若のような顔をして(つまり口を開けたまま)パクパクニャーニャーパニック状態に陥っていたが、東関道と首都高を乗り継いで1時間ちょっとで到着してからは、あっと言う間に新居に馴染んでいらっしゃった…さすがだねファファ。生まれて初めて踏みしめるはずの「畳」を、引っ掻きゃしないかと心配だったが杞憂に終わり、そして、新しいファミリーメンバーである妹ともあっと言う間に打ち解けこれはなかなかいい出だし。問題はトイレ+爪研ぎとコイがすっかりナオナオ鳴く猫に変貌してしまっていたこと…おかげでその晩はなかなか寝つけなかったが、翌日からはどうにか収まった。 So welcome to Tokyo and New Life, Koi and FahFah.

8月7日(水)

午後1時の面会時間に合わせて、日暮里から京成の特急に乗ると、隣に土曜の朝から安西ひろこなみにTPOを無視した化粧を決めたマイクロミニスカート+ルーズソックスな高校生が乗ってきて、むしゃむしゃとクレープを食べていらっしゃった。それは本文とは何の関係もないが、NY帰りの自分には驚くべき日常風景である。とにかく千葉県民の方には申し訳ないが、成田は本当に思った以上に山里だ。駅前は成田山以外何もないし、1時間に1本しか運行していない超ローカルバスは地元の年寄りや中学生が少数乗っているだけ。20分ほど何もない道を走り三里塚小学校前で440円払って下車し、炎天下の一本道を畑沿いに10分ほど足取り重く進むと、警戒厳重な第7ゲートとやらが見えてきて、農夫的な守衛さんに名前を告げると「はいごくろさん」と言って通してくれた。
白く塗られた2階建ての係留施設は滑走路脇に整然と並んでいた。近くで赤茶けたレーダーがグルグルこれでもかと回っている。出てきた女の子に面会の旨告げると2階にある3畳ほどの小部屋に通された。ピカピカ磨かれたリノリウムの床が実に病院ぽい。ちなみに検疫期間中コイとファファはそれぞれTB1-CI-131-1と2というナンバーがついていて囚人(猫)のよう。そうこうしていると、先ほどの女の子に抱きかかえられて5日ぶり猫兄弟登場。すわ感激の再会かなんて思ったが、それは人間サイドだけで、彼等は「また変な場所に連れて来られた…今度は何をされるのだろうか」なんて面持ちだった。ファファはさすがに大物だけあって、見慣れぬ小部屋を楽しんでいる節もあったが、コイは最初から最後までドアの向こうのちょっとした物音や犬の叫び声にビクビクし通しで心が痛んだ。頭を撫であげたら毛がごっそり抜け落ち、つまりそこだけストレスで円形脱毛症のようになってしまっている。4日目くらいからようやく餌も食べ始め排便排尿も通常になったと言うから大丈夫だと思うが、それにしてもコイはかなり参っているのが伺えた。申し訳ないけれど、後10日間何とか持ちこたえておくれ!
1時間半程小部屋で過ごし、次の面会の予定が入っているというのでコイとファファにお別れを言って、持参した(けど食べなかった)コイの好物のハムと海苔をバッグに戻し、行きと同様足取り重く係留施設を後にした…(つづく)

8月6日(火)

14時間のフライト中とてもいい子にしていた猫兄弟だったが、ランディング間際になってさすがに堪えきれなくなったのか、ファファは足下のバッグの中で冗談のようにバタ狂い、コイは「ブミャー」と哀れな声でなき始めた。それもそのはず到着まであと20分とのアナウンスが入ってから、管制塔の指示とか何とかでユナイテッド機は成田周辺をグルグル旋回したから。これには人間の方も参ってしまい嫌な汗をかいた。
で、約1時間近くたって到着したのはいいが、今度はタラップを降りてのバス移動を余儀なくされ踏んだり蹴ったり。その後、入国審査を抜けて、バゲージクライム脇に「動物検疫」の文字を発見。ちょっといかつい感じの係員の女性に告げると「猫ちゃんですね〜」とプッシーランゲージが返ってきたのでちょっとビックリ。裏書きされた証明書(狂犬病ワクチン予防接種証明、健康診断証明)を提示し、所定の用紙に必要事項を書き込み、荷物を受け取ってから第一ターミナル南ウイングの到着ロビーにある検疫所へ向かった。そこで専門の係官から動物輸出入に関する法律などの説明を受け、係留期間中に世話をしてくれる民間委託業者(現在猫はエーキューエスという会社が一手に引き受けている)担当者に、猫兄弟の特徴を事細かく伝えた。プロだけあって猫の扱いにはこなれた感じの人だったが、コイとファファの区別がつかないらしく何度も混同し見ていて面白かった。猫は冷暖房を完備した小動物検疫舎の2階にある26部屋84ケージのどこかで管理されるのだが、これは飼い主が選択できる仕組み。ウチの場合兄弟だからできれば大きめの部屋に一緒に入れたかったので、料金は1頭あたり1日3,000円也(小さなケージだと2,300円)。つまり兄弟で1日6,000円×15日で90,000円+検疫施設までの輸送費が3,000円のしめて93,000円の見込みとなった(ぬぬぬ…)。係留中は事前に連絡をすれば面会も可能。ただし、三里塚のとんでもないド田舎に施設があるため、現実的に何度も訪れるのは不可能に思えた。ファファはバッグからちょこんと顔をだしキュリオスしていたが、コイはバッグの奥で固まったまま…ちょっと不安ではあったが思いきりハグをして渋々検疫受付を後にする。京成スカイライナーの中で妻の腕に残された生々しい3本傷が妙に愛おしく貴重に思えた。
翌朝からは妻とかわりばんこで電話を入れ毎日のように猫兄弟の様子を伺う。3日目までコイもファファも部屋の隅でじっとしているだけで、水は飲むものの何も食べず、おしっこもウンチもしないほどの緊張状態だそうで、ちょっと心配になり土曜日(5日目)に電車とバスをエッチラ乗り継いで面会に行くことを決めた…(つづく)

8月5日(月)

念のため獣医に処方してもらったトランキライザーをバッグに忍ばせ、当日は朝9時半に住み慣れたイーストビレッジのアパートをリモで出発。JFKのターミナル8に30キロ超のスーツケース4つ+猫兄弟と共に30分程で到着し緊張のチェックインへ。が、ユナイテッドさん慣れたもの、至極普通に当たり前に冷静に猫持ち込みの手続きは完了し、むしろ人間の荷物のオーバーエクセス分を何とかしなさいと、床にスーツケースを広げ荷物を他所移動させて調整したりした。その間猫兄弟は無言…特に神経質で恐がりのコイはバッグの奥で固まったまま身動きひとつしない状態。
セキュリティを通る時は、さすがに猫をX線検査マシンに入れるわけには行かず、シェルパバッグだけ通し、猫は胸の位置に抱き上げて一緒にゲートを通過するように指示される。ありきたりの猫ではないから、まわりからは「あいつらはいったい何を持っているんだ?」という好奇の目で見られる。ファファは問題なかったが、コイはまじめに身体検査などされ、ついでにパニクり妻の手に3本程引っ掻き傷を残してバッグの奥に再び隠れた(この3本傷は隔離期間中にコイを具体的に思い出し寂しくさせる要因となる)。出発までの時間は奥まった所にあるキャンティーンを陣取り、けっこう余裕で過ごし、12時15分のボーディングタイムになっていよいよボーイング777型機内へ。
予想していたことなのだが、この機種は設備は整っているもののエコノミーキャビンの座席間隔は狭く足下にいちおう3.5キロ×60センチはあろうかという生き物の入ったバッグを置いたら、ハッキリ身動きひとつ取れない。猫兄弟はふだんから鳴かないという特性をそのまま生かし、じっと押し黙っていてくれるので助かる。昔は成田経由の香港行きだった同便は、いつの間にか台北行きに変わっていて、たまにとんでもない中国人乗客がいたのが嘘のようにシーンと静か。フライトアテンダントの皆様もそこに猫がいることを「見て見ぬ振り」するかのような放任状態で実に拍子抜けした。よって、昨日の画像のようにフライト半ばからは、シェルパバッグをテーブルの上に置き「よしよし」となだめながら過ごせた。でもやはり気になって眠れない(妻は爆睡)ので、機内映画=モンスターズインクとI am Sam(不覚にも号泣)を観て時間をつぶすわたし…(つづく)


キャビンで寛ぐ(?)フライト中のファファ

8月4日(日)

人間の場合ニューヨークから日本へフライトする際には、単純にチケットを購入し、出発の2時間半前までにパスポートと荷物を持って空港に行けば良いのだが、猫兄弟の場合そんなに簡単ではない。現在日本という言う国は動物鎖国状態にあり、輸出入に関してはとてもうるさいのである。特に狂犬病発生地域(アメリカはこれに含まれる)から犬/猫などの小動物を持ち込む場合、ワクチンの予防接種と最低2週間の隔離検疫が義務付けられている(ちなみに狂犬病のないイギリスやらニュージーランドから輸入する場合は隔離検疫は必要無い)。だからちゃんと帰国日に合わせて段取りよく行動しないと大変なことになるのだ。
まずは帰国日を確定させることが重要になる。と言うことはつまり、予約をする際に「猫を持ち込めるか」どうかを航空会社に確認することが重要になる。ユナイテッド航空の場合、さすが米系だけあって動物の移動には寛大で慣れたもの。指定のソフトケージ(シェルパバッグなどが有名)で持ち運ぶ場合に限り、キャビンの飼い主の座席の下に置くことができる。ちなみに1フライトでビジネスクラスのキャビンに3匹、エコノミーに3匹まで持ち込めるのだそうだ。この場合、猫は超過手荷物扱いとなり1匹あたり88ドルの料金が必要になるが、これは日系航空会社の約半分。ソフトケージに入りきれないようなサイズの動物は受諾荷物と一緒に貨物室に預けなければならないから、おまえら小さくて良かったな。
で、フライト日を確定させたら、そこから逆算して31日以上前に獣医に行って1年間有効な狂犬病予防ワクチン(Rabies=2匹で150ドル)を接種し証明書を発行しても貰う必要がある。これは血液中に十分な抗体が作られるまでの期間を考えて設定されているのだそうだ。さらにフライト2週間以内に健康診断(2匹で100ドル)を受けさせて、同じく証明書を発行してもらわなければならない。これらの証明書にはUSDA(アメリカの農林水産省みたいな機関で、とてつもなく不便な場所に立地している)まで行って正式な書類であると裏書き(Endorsement=22ドル)を貰うことが義務付けられている。これは証明書が発行されてから2週間以内に行わなければならない。そして裏書きはフライト日から換算して10日以内にされなければならない…ぬぬぬ訳わからんぞ…(つづく)

8月3日(土)

さて、何から書けばいいものか…妻と猫兄弟合わせて2人と2匹で初体験の14時間にも及ぶフライトに挑んだのが、もう2週間以上も前のこと…到着後すぐに成田空動物検疫所に行き、その後15泊16日間も三里塚第7ゲート内にある専門施設に隔離された猫兄弟をピックアップに行ったのが、先日の水曜日。結論から言うと、コイもファファも元気(いろいろあったけど)。ご心配をおかけしたみなさまにまずは報告します。
とにかく慣れない環境下で頑張っている猫兄弟をピックするまで我々に課せられた使命=住処を定め引っ越しを完了させ、猫にとって馴染みやすい環境を提供すること=を達成するために、到着翌日から炎天下のもと、都内の特に駒込+−3駅周辺にある「ペット可能物件」とやらを片っ端から内見しまくったのだが、ペットに厳しいニッポンだけあってなかなか希望に沿うものは見つからず、そもそも内見に行く部屋すべてが40度にもなろうかという灼熱地獄下であるため、冷静な判断というものがおそらく困難だったから、大いに悩みまくる繰り返し。結局は10軒以上部屋を見たにも関わらず、3軒目に見た築30年だが広々とした和洋折衷な自分好みのマンションに申し込みをすることになって、一瞬胸を撫で下ろしたが、今度は海外暮らしのステイタスに足を引っ張られ審査を通すのに一苦労…たまたまその物件を管理していた仲介業者がセンチュリー21(しっかりした会社)だったことも原因だったのが(住民票もない、収入証明もない、印鑑証明だってないから、ただの外国人と同じ扱いだった)、とにかくできる限りの裏技を駆使しどうにかこうにか契約に漕ぎ着け、本格的に引っ越し手配をし荷物をまとめ、灼熱の7月末に引っ越しを済ませ、荷物をアンパックして必要な家財道具を揃え、ようやく買ったばかりの安物コンピュータの電源を入れ、長々とセットアップを済ませてから、今こうやってcatcatを更新しようと言う気に初めてなるほどああもうバタバタだった。それにしてもね…日本の蒸し暑さは半端じゃないよ…今思えばニューヨークは涼しかった…きっと新居で寛ぐコイもそう思っているに違いない。

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生年月日 西暦 性 

運命がどうしても気になっちゃう〜五行推命運勢鑑定〜で遊べる今年の猫兄弟。数字は半角で入力してください。

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1998       9 10 11 12 1999 1 2 3 4前 4後 5前 5後 6前 7前 7後 8前 8後 9前 9後 10前 10後 11前 11後 12前 12後 2000 1前 1後 2前 2後 3前 3後 4前 4後 5前 5後 6後 7前 7後 8前 8後 9前 9後 10前 10後 11前 11後 12前 12後 2001 1後 2前 2後 3前 3後 4前 4後 5前 5後 6前 6後 7前 7後 8前 8後 9前 9後 10前 10後 11前 11後 12前 12後 2002 1前 1後 2前 2後 3前 3後 4前 4後 5前 5後 6前 6後 7前 猫兄弟のすべて データブック(日本語)  Data Book(English) ヨーロッパ旅行記 ●●● 5/29〜6/15/2000 パリ パリ食べ物 ボルドー ベルジュラック バルセロナ ミラノ/ローマ/地中海… サルディーニャ Email me!  Nyahoo! JAPAN Kimagure Tenshi ● my Profile ● my Homepages promotion .. HandMade ● back HOME Thanks all