..............売れてます。連動ウエブサイト有効利用してね。



 

4月13日(土)

メイジャーリーグも開幕し、今までにないほどたくさん(11人?)の日本人選手が活躍していたり、そうでなかったり悲喜こもごも。実は1カ月ほど前に昔の電通時代の上司が(なぜかケーブルテレビ局のプロデューサーに転身していたこともあって)ニューヨークにやって来ていきなり取材をされたことがあった。番組名は「MLBスタジアム」と言ってスカパーで毎週放映されている大リーグものらしい。ついでに著書も宣伝していいよという話だったので、NYギリギリ生活ガイド片手に喜びいさんで近くのトンプキンズスクエアパークまで行って、テロ前後の状況と大リーグの復興についてを適当に自分らしく喋った。けっこう長々としかも何の打ち合わせもなしにアドリブでリポーター的に語りまくったのだった。使うかどうかはわからないとのことだったので、その後放って置いたのだが最近になって連絡があって、月末の特集で取り上げられることが決定したとのこと…しかも3分間…ぬ、なげー。そんなわけでもしスカイパーフェクトチャンネルに加入していらっしゃる方は4月26日(金)のたぶん夜に放映されるであろう同番組をチェックして見て下さい。徳井寛が怪しいはずです。
さて、画像はウチの近くにある有名なセリーナ(96年に殺害されたメキシコの有名アイドル)の追悼壁画で、例によって地域の有名ペインターCHICO(アントニオ・ガルシア)によって描かれたもの。これハウストンストリート沿いにあるのだが、けっこうサイズがでかいので知らないで通り過ぎるとハッとする。心ない不謹慎な誰かが後からセリーナの顔に宝塚的なヒゲ落書きを施したこともあって不幸なことに余計インパクトが出ている。最近カメラを新調したのでブラブラと普段行かないストリートを好んで歩いて2002年春の表情をキャプチャーしているのだが、まだまだ知らない場所があるもんだと感心しているのだった。Have a nice weekend guys.

4月12日(金)

日本より友戻る。グリーンカードの最終インタビューのために帰国していたお友だちカップルが無事にカードを取得して1ヶ月半ぶりに帰国。そいつはめでたいということでリトルイタリーはマレーシアレストラン「ニョニャ」で祝杯をあげてきた。自分としては「やまいだれにてら」になって以来となる本格的に辛い食べ物に挑戦だったのだが、ハッキリ言おう。誰が何と言おうと辛いモノは美味い。そして辛いモノを食ってる時は辛く(つらく)ない。辛いのはやっぱり翌朝だった(やれやれ)。で、グリーンカードであるが、やはりテロ後は手続きが少々変わったようで、以前よりもちょっとだけ面倒になっている(Wチェック機能みたいなものが有効になっていると感じる)。だがしかし日本国の移民に対する扱いなどから比べると、アメリカはまだまだフェアで門戸は開かれていると感じる。特に才能があるアーティストなどに対しては、けっこう今でもちゃんとしてくれる。日本国よどうかこの点見習って欲しい。
ここ最近珍しく夫婦でジョギングなどを始めた。理由はもちろん帰国中に持ち帰ったエクセスバゲージ(脂肪)を燃焼させるため…よって有酸素運動が必要になり最低でも25分は走るか早歩きするようにしている。これが実はけっこう辛い…しかも筋肉痛で特に下半身がパンパンだ。なぜジョギングなんかで筋肉痛になるのだと最初のうちは疑問だったのだが、うーん、やはりあれだ、普段どれだけ運動をしていないかの裏返しだなのだこれは。いちおう3日は続いた。でも今晩あたりから雨になるとの予報で、そうなるとたぶん走らなくなる。うーん痩せるのってなかなか難しいのね。

4月11日(木)

マンハッタンの10丁目あたりを東に向かってテクテク進み、アベニューDを越えると、昔からある本来の地域イメージに倣って極端に物騒になってくる。何故かというと、イーストリバー沿いにはFDRというフリーウェイが走っていっていて、その内側に沿うようにたくさんのマッチ箱のようなプロジェクト(低所得者用団地)が建てられているからだ。そういう場所にはかなりガラの悪い者どもが昼夜徘徊しているのが常で、たぶん免疫のない人が有無を言わさずそこに放り込まれたら膝がガクガクしてしまうほどだろう…。もしかするとハーレムなんかよりも雰囲気は悪い。だだっ広い道には頭にストッキングを被ったヒップホップ系の男たちがグループごとに点在し、それぞれがピットブルなんかを引き連れて出会い頭にブルファイティングを楽しんでいたり、5〜6人の黒人が集まって車のボンネットを開けて怪しい動きをしている。キッズだって相当ガラも目つきも悪く、小学生なのにアレン・アイバーソンみたいにしている子ばっかりだ。んが、何日か前にも書いたが、そういう彼等の傍らを通り過ぎてもちょっかいを出されたり攻撃されたりすることは特になく、適切な距離感覚を維持したまま安定している。狂犬病にかかったような日本の子たちとは大違いだと再認識する。ところで、なぜそういう場所に行くのかと言えば、FDRを渡ったその先の川っぺりに素晴らしい公園があるからに他ならない。そういうエリアを抜けなかればその公園には辿り着けないこともあってか、いつ行っても空いていて思い切り走ったり転んだり投げたり受け止めたり自由自在にできるのだ。疲れたらイーストリバーを通過する遊覧船やフェリーをボーッと眺めたりもできる。ちょっとだけ勇気を出してプロジェクト内を通過するだけで、素晴らしいご褒美を与えられているようでもあって何となく得した気分につき最近ハマっている我々なのだった。

4月10日(水)

今住んでいるイーストビレッジのアパートは築100年以上で、床の傾斜がとにかくスゴイ。計測したことはないが、中央に向かって少なくとも15度は傾いている。我が家を訪れた人は最初にこの傾きに驚きの声を上げる決まりなのだが、この地域では特に珍しいわけではない。昔は貧民街だったからかけっこういい加減に建てられたビルが多く、どこもかしこも傾きまくりだ。まぁ100年も経ちゃそりゃ床ぐらい傾く。しかし…あまりにも傾き過ぎると→ひび割れ→パラパラ外壁が崩落し→避難勧告→NY1(ケーブルTVローカルニュース専門チャンネル)に登場→やがて倒壊というニューヨークにありがちな最悪のパターンとなるので、不動産屋もビルのオーナーも常に気を配っている。と言うのはたぶんウソで、実際多くの建物はあまり気を払われず半分放置されたまま、今日も多くの市民&移民たちが出たり入ったりを繰り返しているのがホント。ぬぬぬ危ないぞニューヨーク。
んで、アミーゴたちの登場である。今現在我が家のベースメント(地下)ではピサの斜塔化したビルの傾きを是正するための補修工事が行われていて、朝から晩までビルごと削り取ってるんじゃないかと思うほどの大きなドリル音と共に「本当にオマエラそんなことできるんか?」と思わず聞きたくなる風貌のアミーゴ(この場合出身国は問わず、背が小さく浅黒い肌をした土方みたいな人たち=だいたいは中南米や南米出身でスペイン語を話す)たちがワサワサと集まり、新たに鉄骨を搬入したりコンクリートのかけらを運び出したりしていらっしゃる。お陰で1日中喧しく集中して何かをするのが困難な状態である。きっと今日もそうなんだろう…特に外出予定がないのでどこかに避難した方がいいのかもしれない。オーナーと話したら、この工事をしたからと言ってビルの傾斜が改善される訳ではなく、あくまでも「これ以上傾かないための一時的な措置」とのこと。ふーん。

4月9日(火)

毎日無理してでも何かを書き続けることに果たして意味があるのか? たぶん日によってはない…書くこと、言いたいことがない日に書いたことにはやっぱりパワーがない。でも、流れの中にそういう日があるのを知るのは自分自身をできるだけ正常に保つために役に立つと思う…Thus a diary goes on...。この猫兄弟では朝目覚めて最初の思考を書く(そしてフォトショップで最低1枚は画像を加工する)ように努めている。邪念渦巻く日が暮れてからの思考の影響を極力なくしニュートラルな状態の脳が考えたことを表現したい(+フォトショップの扱いをより容易くしたい)からで、必然的にちょっと狙ったようなギミック(Gimmick=仕掛け、人為的な工夫、トリック)も薄くなる。だけど寝起きボケボケの状態だと流石に書けないので、重要になってくるのがいかにして確実に目を覚ますか。そのために起きて最初にグラインダーにコーヒー豆をかけドリップし、入るまでの時間にマフィンを輪切りにし(わざわざフライパンで)焼いてバターを塗ったりクリームチーズをつけたりなどの作業をルーティーンとし、短時間でリズムをつかんで覚醒するように努めている。なんでこんなことをしているのかと言うと、その理由は時差にあったりする。NYなどに住んで日本と仕事をしてみればわかるが、とても重要なことを朝いちでこなすことを要求されるのである。時に込み入った面倒なことを瞬時に正しく判断しなければならなかったりもする。今は特に日本と仕事をしているわけではないのだが、やっぱり朝早めに起きてシャキッとしていると、1日が有効に使えるし身体にも頭にも大変よろしい。So, what abot you?

4月8日(月)

帰国中のお話…ファッションについて。本当に若い子たちはコーディネートが上手だ。有名ツアコンの何とかさん(実在人物)が出版した本の宣伝文句「コーディネートはこうでねーと」を地でいっている。「個性的な装い」を狙い過ぎて Who you are? な子も目立つし、リカバーロストアイデンティティ→テイストごとのグループ化ぶりも如実ではあるが全体的に底上げがされ、地方の子に至っても横並びにお洒落。相変わらず似合わない長髪/染髪/剃眉、TPOを無視したミスマッチ=売春婦的ロリータ(それでも一頃よりは収まった)、たんぼ道にハイヒール、強風の中マイクロミニスカートに自転車 etc...なども目には付くが、まぁ今に始まったことじゃない。自分だって80年代は野球部坊主狩りなのにもみ上げ剃ってテクノ、たんぼ道にギターを抱えてUKパンクだった時期があるもの。それにしてもジャパニーズ子供たちの消費力はすごいのひとこと。基本的に子供の多い街ほど賑わっているし、テレビなんかでも子供が子供に対して、たとえば整髪料などのコマーシャルをしているのには驚いた。また、普段はコンビニ前で地べたに座ってカップラーメンな子が、何万円もするブランド物やプレミアムものをこぞって手に入れようとする傾向にも拍車がかかっているようだ。
ただ、ニューヨークなどから戻りピンポイントでそういう生日本人の狂乱ぶりを見ていると、どうしても異常に映る。今の日本では加速度的にまともな大人が減りつつあって、そういう駄目な大人が子供を騙し消費を促してお金を吸収する社会構造が定着していることや、何だかんだ言ってもいまだ閉じられた男性優位社会をしていることなども関係していると思うが、やはり「根拠」とか「理由」があやふやな状態のモノゴトが当たり前のように簡単に末端まで行き渡るシステムを見ていると恐怖を感じざるをえない。それは即ちフィーリングがすべてという今の若い子の行動形態を悪い大人が目先の金欲しさに悪用しているに他ならず、実際は何のケアもされないその場凌ぎの使い捨て&垂れ流し&無責任な感覚を一方的に押しつけているだけ。若い世代は見た目の西洋化や成熟度とは裏腹にますます「何で良いのか/悪いのか」のジャッジができない空っぽ君/ちゃんが増え、気がつけば「非道徳的」で「ところ構わず野獣的」で「理屈の通じない」者が蔓延り、それに準じた事件が増え続けていくのだろう。電車の中でも街中でも待ち合わせ場所でも、かなりの人がうつむいてケータイ片手にメールを打ち込んだりしている様は異様で、パッと見ガックリと落ち込んでいるように見えてしまう…今の日本には四六時中「コラッ」とか怒鳴りかねない、より男性的で父親的な本物の大人が必要なんだろうなぁ。

4月7日(日)

ニューヨークに戻ってからすべてのモノゴトが何となく停滞気味である。天気も一見良さそうに見えるが実際は肌寒く、ニコニコしながら外を歩き回る気にはならない。たぶん日本に長くいた(と言ってもわずか半月だが)のが原因でなかなか元のペースがつかめないのだ。珍しく時差もあって、朝は6時頃オートマティカリー目覚め、夜は夕食後の9時頃にはもう耐えられないほどの強烈な眠気に襲われる。この1週間ずっとそんな感じだ。今朝も目覚めるといつもより遅めの7時…やれやれまだ早いな…なんて思ってテレビのスイッチを入れると表示された時間は1時間進んで既に8時…ぬ…これは? そう Day Light Saving Time=通称サマータイムの始まりである。本日より日本との時差はマイナス13時間、今、朝10時半だから日本は13時間先の夜の11時半となる。とにかくなかなか時差ボケの解消されない我々にはもってこいのタイミングでラッキー。
先日は運動不足解消の意味も込めてダウンタウンを練り歩いた。14丁目のユニオンスクエアにはいつもの週末のようにグリーンマーケットが出ていたが、流石に季節を反映して食べ物よりも「花売り」のワゴンが多かった。チューリップ、ダッフォディルス(ラッパスイセン)、ヒヤシンス、ラベンダー、デイジー、どの花も春っぽくて可愛い。そんな時ふとカメラを向けて通り行く人々をバシャッっと撮影したら、たまたまみんな何かを飲んでいらっしゃる瞬間だった。あはは。その後、チャイナタウンまで降りて久しぶりにお粥などいただこうと思ったら、お気に入りの店はこれ以上ないくらい大混雑で、超腹ぺこ状態の我々は列を作ることを我慢できずに近くの日系レストランでチャーハンなど頂いた。帰りに露店でバナナとグレープを購入しテクテク歩いたそんな土曜日。

4月6日(土)

帰国中のお話…駒込を拠点に人に会ったりしていると、恵比寿、渋谷、原宿、新宿、池袋などに行くことが多くなるので、必然的に山手線を利用するのだが、車内でこれまであまり見たことがないような種類の若い子を目撃することが多くなった。彼等はたいがい3〜4人で群れていて、見た目はドラゴン・アッシュだったりリップ・スライムだったりとヒップホップ系が多い。人が電車から降りようとしているのに正面からわざわざぶつかりながら乗り込んでくる。あるいは降りようとするとドアの前に群れてどこうとしない…喧嘩を売っているのか、何なのか定かではないし、そういうことをする理由や文化的なバックグラウンドがわからないから、自分などは憤りを覚えつつも戸惑うばかりである。彼等がいったい何を考えているのか? がまったくわからない。理屈よりもフィーリングがすべてなのか…行き当たりバッタリで行動しているように思える。だからコワイのだ。ちょっと酔いの入ったおっさんと口論している場面もよく見かけたが、注意しようが何しようが殴られてそれで終わりだ。基本的にそういう「昭和的勇気アル」行動は真っ先に「オヤジ狩り」とやらの対象になって、乗換駅や終着駅で1人また1人と社会から抹殺されていくのかも知れない。こういうストリートレベルの無法ぶりを見ると東京なんかの方がニューヨークよりもよっぽど治安が悪い(クセが悪い)と感じる。もちろんこの街にもそういう輩はいっぱいいる。ブラックだったりヒスパニック系だったりエミネム系白人だったりの問答無用にやっかいなヤツらだ。ただ、そういうリアルなヒップホップ系と公共交通機関であるサブウェイなどに乗り合わせてもそういうことはないし、例え群れていても一般市民に理由もなく危害を加えようとすることはない。日本の場合は狂犬病にかかった犬が野に放たれているようなもので、「誰もが出会い頭に(運が悪けりゃ)噛み殺される」と言うような日常生活レベルで危険な状態になりつつあると感じる。フィーリングだけで突っ走る野獣ティーンが続々と生み出される社会構造には危機感を覚えざるをえない。

4月5日(金)

春が来たと思ったのに依然としてニューヨークは肌寒く、気温も10℃以下に止まったままである。朝方など0℃近くまで冷え込んでいたからか、コイがロフトベッドの枕元にずっと居座って毛むくじゃらな目覚めとなった金曜日。
今日のテーマはファッションと祭りについてである。?? それはなんだ?? 自分はここ10年近く海外組みなので、氏の日本における詳細な活動についてはまったくをもってノーアイデアで、イメージは15年ほど前から止まったままである。第1次ブランドブームの頃に18才くらいだった自分にとって、山本寛斉氏は(好き嫌いは別にして)ビッグネームのデザイナーであり、その後服をデザインするよりもイベントプロデュースなどに精を出していらっしゃったことは知っている。でもそこまでしか知らない。洋服も買ったことがないし、「派手」とか「豪快」とか「怒ったら恐そうだ」とかそんなもん。で、その程度の予備知識しかない状態だというのに、帰国中に知人の計らいでなぜか本人にお会いして営業などする羽目に…しかも前振りなし。これには困った…実に困った…I have no idea...と途方に暮れつつテクテクと小雨降る神宮前キラー通りはギャラリーワタリの隣のビルへ向かう。で、会議室でしばらく待っていると赤皮パンツに紫ラメ入りスカーフを巻いた氏がニュッと現れた。名刺交換などして、著書を渡して「NYにいらっしゃる時はぜひご連絡を」なんて通り一遍な挨拶をしつつも、やっぱり何をしゃべったらいいのか皆目検討がつかない。何せよっしゃー祭りやーっ!みたいな方に「NYギリギリ生活ガイド」である…いったい何の営業なのかナゾは深まるばかりだ。氏は「いや昨日ね、内田祐也さんと会って来たんだけどね…」なんて濃い目の話を連発しなさる。さらに「これ私の作品集です。是非ご覧下さい」なんて言ってビデオを下さる…「あなたとはいったいどうやったら連絡が取れるんですか?」なんて真面目な顔でギラッとお聞きになる…うーん噂に違わず面白い方だ。営業の成果はたぶんないが、氏がNYに来る際には本気で連絡をくれそうな気配もあるので、それまでビデオなどを観てもう少し勉強しておかなければ…。

4月4日(木)

先日、実に8年ぶりくらいに元フライングキッズの浜崎貴司と会ってご飯を食べた。いやぁ久しぶりだねなんて言うより先にこれ明日出るんで聞いて下さいなんてくれたのが、画像の実に4年ぶりというフルアルバム「AIと身体のSWING」。あまり聞き慣れないレーベルはビクターのスピードスターがやっているもの。ジャケットは最近東京の所謂お洒落なトレンドセッターたちの間で人気の細谷ゆいこというアーティストが手掛けている。浜ちゃんとは東京に住んでいた時は特に仲が良く、お互いの家を行き来したりしてよくごはんを食べていた。どちらも語り部タイプだから酒を飲みながら遅くまで語り合うのがパターンだった。自分にとっても歳を取ってから出来た友だちだったから、大事に付き合っていたのだが、その頃不幸にも離ればなれにならざるを得ないような状況になって、1回パリまで会いに来てくれたのを最後にパッタリと会わなくなった。それに理由はあったのだろうかと今思うが、どちらかというとコチラの事情が複雑だったのが原因だったのかもしれないし、ハッキリとは思い出せない…。ただし、例によって時はすべてを解決する。そして1度でもあるレベルまで踏み行った関係性は必ず邂逅する。実際会ってみれば8年という歳月は2人の間に横たわっていた目に見えない重い液体のようなものを洗い流してくれていた。最初の頃の会話はギクシャクとぎこちなかったけれど、一瞬でも昔のそういう青い時代を思い出すことができて、自分の精神の一部はあの頃からこの場所(日本にある場所)に置き去りにされたままになっているのだなと再認識した。これについてはいつか決着をつけねばならないだろう。
フライングキッズ時代と比べて随分大人になったね浜ちゃんという印象のこのアルバム、特に6曲目の「あなたにキスをしてはいけない」と7曲目「誰よりも君を愛す」は秀逸の出来なので機会があったら是非聞いて下さい。いいアルバムです。

4月3日(水)

帰国中にNY絡みの友人であるところの吉本興業所属アーティスト AKIRA OSAWA に久しぶりに会った。金曜午後6時…待ち合わせをしたのが新宿駅南口ルミネ待ち合わせ広場への階段の下。これ以上ないくらいの混雑ぶりだったので発見できるか不安だったがあっさり見つかるほどのキャラの濃さだった。うふふ流石だねアキラ。彼のホームページにはスキンヘッズの近影が貼り付けてあったのだが、実際会うと中途半端に髪の毛が伸び、なんだかとても変だった。本人は「最近頭頂部が…」なんてぼやいていらっしゃったが、辺見えみり的にチェックをするとなるほど…うーんそうねージネジーヌ・ジダンだね。そろそろローゲインかな…。しかしながら、相変わらず精力的に活動しているようなので、東京エリア在住の方は是非応援して上げて下さい。ニューヨークの退廃に伊豆の漁村をミックスしたような荒々しくも洗練された作風?と、きこり的な風貌とのギャップにあなたもきっと虜になるはず。それにしてもこうやって並んで見ると、とてもルミネらしくない我々だ。
さて、ニューヨークに戻ってみて気が付くのは空の青さの違い。思い起こせば日本の空は常にもやっとしていた。青空が青くないので、桜の花びらごしに空を見上げてもどことなくスキッとしない日々だったが、ここのは雲間から見える空の延長線上に宇宙があることをたやすく想像できるような青さなのでわかりやすくて好き。空は夕暮れ時に群青色に変化し、グラウンド・ゼロからのサーチライトに相変わらず照らされている。その軌跡が描くコントラストは1カ月前よりもクッキリハッキリしているように見える。ここにしかない期間限定の独特な方法で春の訪れを感じている。

4月2日(火)

飛行機は大して揺れずオンタイムで到着したニューヨークの気温は15℃くらいだったが、日本よりも幾分ひんやりとした風が印象的。やっぱりここは北国だね何となく過ごしやすいよー。思わず悲鳴をあげたくなるほどの長蛇の列に渋々並んでタクシーに乗り込み、1時間(と35ドル固定+チップ&トール)ほどかけてイーストビレッジに帰着。ドアを開けても猫兄弟はいないことがわかっているので、無感動なまま取りあえず黙々と荷ほどきをし、インターネット環境などを整え、一風呂浴びてからスタインウェイに向かう。途中(時差のお陰で)あまりにも眠たくて、妻と険悪な雰囲気になってつまらないことで喧嘩などもしたが、まぁこういう時は仕方ない。
で、ピンポーン、ガチャガチャとドアを開けると…いたーっ。いたよコイファファ、元気そうにふさふさしているじゃあないかい。あれコイが机の下に逃げた! お決まりだーっ! ファファは何だか恥ずかしそうに妻に抱かれたりしている。ああ、やっぱりおまえらのいない生活は寂しかったよ。猫兄弟を抱きしめていると、ちょうどテナントの1人がバケーション先のドイツから戻って来て土産にと白ワインを開けてくれたので、みなで乾杯。カーサービスを頼んで急ぎイーストビレッジに戻ったところで、もう限界となって気を失うように眠ってしまった。その後、トイレに起きた夜中に自分が1回、妻が1回コイを枕元まで運んだら、やっぱり寂しかったのかけっこう長い間ゴロゴロいいながらステイしていらっしゃった。うふふベビっ子よ恥ずかしがり屋で可愛いヤツ。
朝は時差のお陰でけっこう早く(5時半)目覚めてしまい、時間を持て余したので公園で夫婦バドミントンをしたり、食料の買い出しに行ったりして過ごす。猫兄弟はすっかり以前の暮らしぶりを思い出したのか、既に好き勝手にやっている。

4月1日(月)

前の日に大きなスーパーで発見した(たぶん)福岡産の竹の子。誰が何と言おうと今しか食べられない旬のモノ。朝目覚めると母が竹の子尽くし朝食をこしらえてくれていたので、妻と主に大感動でシャキシャキ。今でも想い出すだけでよだれが出てくる炊き込みご飯の風味とテクスチャー。庭の花壇に生えている山椒の葉を千切って見た目もよろしい。ピリッと一味を効かした味噌和え、姫皮は千切りにして味噌汁でいただいた。(竹の子だけに)出発前にとうとう春の大地を食い尽くした感じでより嬉しかった。
5月なみというポカポカ陽気の月曜日、成田まで最近左目が霞むというので心配な父の運転する車で送ってもらい、トドメに送迎デッキにあるレストランでカツカレーを食べた。野暮ったいカレーだったが炒めた小麦粉が香ばしい素朴な味はなかなからしくてこちらも満足。2週間活躍した携帯電話を母にあげて、さよならを言ってからモールを小1時間くらいブラついてお土産を購入後、いつものようにユナイテッドに乗り込んだ我々。バイバイニッポン、また食い散らかしに来るから待ってろよ。




↑↑↑ クリック&クリックにご協力下さい ↑↑↑

.
..

 

生年月日 西暦 性 

運命がどうしても気になっちゃう〜五行推命運勢鑑定〜で遊べる今年の猫兄弟。数字は半角で入力してください。

COPY RIGHT (C) 2002 HIROSHI TOKUI ALL RIGHTS RESERVED.

 

これよりまえをよむ

 

1998       9 10 11 12 1999 1 2 3 4前 4後 5前 5後 6前 7前 7後 8前 8後 9前 9後 10前 10後 11前 11後 12前 12後 2000 1前 1後 2前 2後 3前 3後 4前 4後 5前 5後 6後 7前 7後 8前 8後 9前 9後 10前 10後 11前 11後 12前 12後 2001 1後 2前 2後 3前 3後 4前 4後 5前 5後 6前 6後 7前 7後 8前 8後 9前 9後 10前 10後 11前 11後 12前 12後 2002 1前 1後 2前 2後 3前 3後 猫兄弟のすべて データブック(日本語)  Data Book(English) ヨーロッパ旅行記 ●●● 5/29〜6/15/2000 パリ パリ食べ物 ボルドー ベルジュラック バルセロナ ミラノ/ローマ/地中海… サルディーニャ Email me!  Nyahoo! JAPAN Kimagure Tenshi ● my Profile ● my Homepages promotion .. HandMade ● back HOME  FastCounter by bCentral Thanks all